建設機械の歴史:
日本土工機械史 [ 戦前編 ]
- 明治(1868〜1912)
明治初期の社会インフラ政策
- 殖産興業政策(生糸・石炭・鉄鋼等)
- 船運(海・川・湖)主体
- 鉄道建設を最優先(30年程度で列島骨格幹線を完成)
運輸インフラ政策は、近世からの伝統的水運(沿岸海運と河川舟運)による運輸体系の延長線上で、まず、港湾・運河・河川を改修整備し、この建設に始めて機械力を導入した。 併行して、新しい交通体系として鉄道敷設を急ぎ、やがて内陸輸送を鉄道網に移譲していく。
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- 明治元年 大阪に治河掛を置く
- 明治2年 北海道茅沼炭山にトロ導入
- 明治2年6月 民部省を設置し、土木司を置く
- 明治3年10月 工部省を設置、鉄道掛を移す
- 明治3年10月〜7年5月 神戸〜大阪の鉄道建設
- 明治3年 安治川に蘭製100坪掘バケットラダー式浚渫船(鋤簾船)を民部省土木司が2隻導入、 神戸港浚渫にも使用
- 明治3〜4年 初の石屋川トンネル工事
- 明治3〜5年 新橋〜横浜の鉄道建設:技師長 E.Morel(英)、土工にパイスケ、モッコ、牛馬車を「使用、 資金はポンド借款
- 明治5年 新橋〜横浜の鉄道開通
- 明治5年2月〜13年2月 近代土木(河海工学)の師、ファン・ドールン(C.Van Doorn)が来日、 低水工事、灌漑工事を指導。
- 明治6年9月〜34年 近代砂防の祖、ヨハネス・デ・レーケ(de Rijke)来日
- 明治6年11月 内務省設置、大久保利通内務卿就任
- 明治7年5月 神戸〜大阪の鉄道開通
- 明治10年 西南の役
- 明治10年 淀川工営所を設置、土木出張所を利根川、信濃川、木曾川、野蒜、清水越、富士川、庄川、阿武隈川、筑後川、最上川、吉野川、天竜川、大井川に置く
- 明治11年 三国港(九頭竜川河口)着工
- 明治11〜12年 初の近代的「逢坂トンネル工事」(井上勝技師:京都〜大津 665m)
- 明治11年〜 内務省 野蒜築港着工
- 明治12年 内務省野蒜築港(石巻湾)に蘭製40坪バケットラダー式浚渫船を輸入
- 明治12〜15年 安積疎水事業: 新田開発4,000ha、灌漑用水地3,800ha
- 明治13年 坂井港開港
- 1881年 パナマ運河起工
- 明治14年12月 日本鉄道会社(私営)設立
- 明治14年 野蒜港一期完成
- 明治14年12月〜24年9月 上野〜青森の鉄道建設
- 明治15年 安積疎水事業完成
- 明治15年 敦賀線建設で、本線機関車による土工列車牽引
- 明治17年 柳ヶ瀬鉄道トンネル完成(ダイナマイト、鑿岩機、空気圧縮機等を使用)
- 1885年 牽引式グレーダの発明:J.D.Adams(米)
- 明治18・9年頃 利根川に20坪バケットラダー小型浚渫船(国産)を導入
- 明治18〜20年 横浜水道工事で軽便軌条(9ポンド)と5勺積み鍋トロを英より輸入
- 明治18〜23年 琵琶湖疎水事業(計画・実施:田辺朔郎)で9ポンド軌条と5勺積み鍋トロを英より輸入
- 明治19 全国主要河川の低水工事計画を策定
- 明治19年 木曽川浚渫に蘭製33坪ホッパ付き大型ポンプ浚渫船(木曾川丸)を輸入
- 明治20〜33年 木曽川の三川分流工事に着手
- 明治20年 土工蒸気機関車(5t)を大井川改修工事に導入
- 明治20年 クラブ浚渫船の導入
- 明治23年 琵琶湖疎水事業完成:同年、蹴上水力発電所工事を起工、翌年に送電開始
- 明治23年 治水協会設立
- 明治23年〜 木曽川改修で軌条(9ポンド、木造トロ)使用
- 明治24年9月 上野〜青森の鉄道全通
- 明治27・28年 日清戦争
- 明治28・9年頃 北陸線篠井線の長隧道に圧縮空気を用いた米製ロックドリルを輸入
- 明治29年 河川法制定、指定河川の直轄河川改修工事を開始
- 明治29〜 淀川・木曽川・筑後川改修工事(低水工事→高水工事への転換)の開始
| 河川法を制定: 低水工事から高水工事へ転換し、淀川改修工事から本格的機械化土工(ラダーエキスカベータと軽便軌条の土工機関車の組合せ)が始まる。 |
明治30年 砂防法公布
- 明治30年 淀川改修工事(高水工事):日本人(沖野忠雄)が独力で計画・実施した初の本格的な機械化施工、仏アッシプルレ製ラダーエキスカベータ(120m3/h)×3、ドコービル製20t機関車×5、30ポンド軌条、半坪積木造傾潟式土運車(3m3鍋トロ)600台等を輸入。
- 明治30年頃 内務省大井川工事に5t蒸気機関車
- 明治30〜41年 小樽築港工事(廣井勇技師)に機械化施工(工事用機関車、軌道起重機ゴライオス、積畳機タイタン)を導入
- 明治32年 利根川改修1・2期(二百数十万坪):33年に蘭製600坪、400坪,200坪、100坪等のロングシュー式、ラダー式、ポンプ式、攫上式を輸入、9ポンド鉄枕軌条、木造7勺トロ3,600台
- 1901年 蒸気機関トラックタイプ・トラクタの発明:A.O.Lombard
- 1903年 ドラグラインの発明:J.W.Page(米)
- 明治35 笹子トンネル工事(古川阪次郎技師)に工事用自家水力発電、電気雷管、ダンプカー、架空式電気ロコを使用
- 1904年 無限軌道の装軌式トラクタを開発:Holt社(CATの前身)
- 明治37年2月〜38年9月 日露戦争
- 明治39年3月 鉄道国有法により、百数十社の私鉄を国有化し、統合運用(8,000km)
- 明治40年 利根川改修: 渡良瀬川と利根川の合流地点に遊水池を建設(3,500ha)
- 明治40年〜昭和2年 吉野川改修T期工事
- 1908年 内燃機関T.T.トラクタの開発:B.Holt(米)
- 明治41年 小樽築港(計画・実施:廣井勇)完成
明治42年〜大正11年 信濃川大河津分水工事(掘削土量2,880万m3)を再開、英国製スチームショベル等を導入、 10・20t蒸気機関車21両、土運車3,729両、掘削機16台等
- 明治43年 利根川大洪水(23万ha浸水、東京市区冠水)
- 明治43年6月 新潟港に初の浚渫船
- 明治43年〜 石狩川第一期治水工事(岡崎文吉)
- 明治43年〜昭和5年 利根川改修計画を改訂(栗橋地点で 5,600m3/s)、掘削数量 2億1,400万m3(パナマ運河の1914年開通時の掘削量 1億8,000万m3を上回る)
- 明治43年12月〜大正3年5月 大野発電所 大野調整池アースダム工事(48万m3、堤高37m)10t, 4t蒸気グレーブドローラと8t, 4t電気グレーブドローラによる薄層締固めと土質試験。
- 明治44年 品川駅拡張に、スチームショベル2台を投入
- 明治44年 第1次治水計画:直轄改修河川に65河川指定、第1期20河川の18年以内完成をめざす。 その後、2期45河川に着手予定
- 明治44年 内務省土木局が河川工事用のP.W.Hawthorn Leslie 12両輸入
- 明治44年〜昭和5年 荒川放水路改修工事
- 明治45年 児島湾干拓一期完成
- 大正(1912〜1926)
- 1912年 クローラ式パワーショベルの開発
- 大正元年〜 渡良瀬川改修 9ポンド軌条、5勺積鍋トロ
- 大正元年〜 利根川改修3期に仏製200坪ラダーエキスカベータ 1台を投入(同10年迄に590万坪を掘削)、鉄枕付12ポンド軌条60哩、木造1合鍋トロ2,400台
大正2年 荒川放水路改修工事の高水敷掘削を開始、3年には浚渫船を投入し低水路掘削開始
- 大正2年頃 大井工場敷地造成に蒸気ショベルや小型機関車多数を用いて品川海辺まで運搬
- 大正3年 スチームショベルBucyrus 50Bを初輸入
- 1914〜1918年 第一次世界大戦
- 大正4年 Bucyrus社の軌道式スチームショベルを世界屈指の露天掘炭鉱である南満州鉄道の撫順炭鉱に初輸入
- 大正4年 小樽港埋立工事に水射式土工を使用
- 大正5年頃 Bucyrusのスチームショベル(鉄輪)を大倉組が民間初輸入
大正5年6月〜昭和2年 村山貯水池(多摩湖)のアースダム工事、軽便軌条(羽村村山線・村山境線)により資材運搬及び盛立運搬、 締固めに蒸気ローラを導入。
- 大正6年末現在、利根川改修工事の在籍工事用機械は、浚渫船17隻、曳船7隻、土運船524隻、バケット掘削機18台、機関車(20t)23台、トロ(3m3)1765台、トロ(1m3)3650台、その他鑿岩機、ポンプ、杭打機、コンクリートミキサ等多数
- 大正7年4月〜 丹那トンネル工事、ズリ出しに電気ロコを初導入
- 大正7年7月〜 多摩川下流改修(2期)工事起工、 9年に人力掘削及び築堤に着手、 10年より掘削機械を導入、 13年に機械浚渫を開始。
- 大正8年 陸軍が牽引用トラクタとして、ホルト5t(T-11)を採用
- 大正8年 鉄道新線建設工事の機械化計画
- 大正8年 Erie社製鉄輪ショベルを輸入
- 大正8〜11年 1号国道(現在の国道15号線)工事に8t及び11tスチームローラ、12t及び4.5tガソリンエンジン・ローラを輸入
- 大正9年 内務省が利根川2期改修に3/4yd3ディパーのマリオン21型とビサイラス14Bを試験的に輸入、10年1月より稼働
- 大正9年〜昭和5年 綾瀬川改修工事
米オスゴット社製スチームショベルを導入、ディッパ 3/4立碼
- 大正9年〜昭和6年 台湾/嘉南
大シュウ・烏山頭ダム工事 技師:八田與一、 堤長1,273m、堤高56m、
この東洋一のアースダムと灌漑施設の建設に、本格的機械化土工を大正11年に導入、 盛立にはセミハイドロリックフィル(半水成式)工法を採用。
投入機械: クローラ式スチームショベル等(Bucyrus大型ショベル5台、Marion小型2台、ドラグライン2台、56t機関車12台、16yd3エアーダンプカー(トロ)100台、60封度軌条21哩、スプレッダ1台等)を輸入
| 大正10年頃〜昭和初期 各地で労働力不足と相まって、機械化施工が浸透・普及する。 |
- 大正10年5月 呉海軍工廠敷地造成工事(8年7月着工)
に超大型スチームショベル等を輸入。
Bucyrus 225B(6yd3全旋回型337噸)×1
Bucyrus 110C(5yd3機関車型130噸)×1
機関車(42噸Shay型×2、32噸Tank型×2)、20yd3 Air Dump car(Western Wheeled Scraper Co.,製トロ、軌間4' 8・1/2"、鋼製20両、木製20両)、
組立・試運転の後、大正11年2月〜14年7月に山地開鑿を110Cと225Bで掘鑿、掘鑿量は18萬立坪。 14年5月〜昭和2年には船渠掘鑿を75千立坪。
発破穿孔にCyclone drill×2、Ingersoll-Rand, sergent型×6、climax45号型×2、SullivunDP331型×4、Sanderson's
Class B. Gasoline Non-Traction Drilling Machine×2
土運船(50坪積鋼製底開式×2艘、25坪積鋼製側開式×2艘)
大正10年〜昭和10年 阿賀川本格改修(捷水路開削等)に、大河津分水工事のラダーエキスカベータを転用
- 大正10年 中利根川で蒸気ショベル使用
- 大正11年 鉄道建設(上越線)に大規模機械化施工を導入
- 大正11年 三菱が蒸気ロードローラを製造、
タンデム型4機種、マカダム型3機種
- 大正11〜13年 大井ダム工事(関電):初の堤高50m超の巨大ダム、激流木曽川で半川締切工法を本邦初採用、 ショベルの他、初のジョークラッシャによる骨材生産
- 大正11年8月〜昭和6年9月 清水トンネル工事:電気ロコを導入
- 大正12年9月 関東大震災
- 大正12年9月 帝都復興院を設置し、大々的に新機械を採用
- 大正13年 Bucyrus社の電気ショベル103Cを撫順炭鉱に輸入。 これに刺激を受けて、神戸製鋼が電気ショベルの研究に着手。
- 大正13年2月 帝都復興院を廃止し、内務省に復興局を設置
- 大正13年7月〜15年11月 東京電燈(株)猪苗代第三・第四発電所工事、スチームショベルBucyrus
20B×2台を導入、60馬力オースチン・クラッシャ等。 専用軌道(大寺専用鐵道・廣田専用軌道)二十五封度軌条、軌間二呎六吋の専用軌道を布設し、電気機関車を運転、砂利・洗砂を7哩の索道(玉村式)で運搬。
- 1925年 Caterpillar社が誕生(Holt社とBest社が合弁)
- 大正14年9月 初の地下鉄(銀座線)工事の起工
- 大正15年 砂防法改正
- 大正15年10月〜昭和7年 中川運河開削(248万m3)に英製浚渫船2隻、米製掘削機4台を輸入
- 昭和初期(1926〜1934)
| 昭和に入ると機関車運搬から次第にトラック運搬が増加する。 |
- 昭和元年 米製3〜4tガソリン機関車と15〜18ポンド軌条(国産)を最上川等の河川改修に使用
- 昭和初期 荒川改修にクローラ式ドラグラインを導入
- 昭和2年3月 金融恐慌始まる
- 昭和2年 紀ノ川改修に米製ディーゼルショベルを輸入
- 昭和2年 オットドイツのディーゼルロコを輸入
- 昭和2年6月 信濃川大河津分水の自在堤が倒壊、6年6月まで復旧工事
- 昭和2〜9年 東京市水道局山口調整池(狭山湖)工事は、当時、内地で最大級のアースダム(150万m3、堤長691m)
昭和4年4月に堤体掘削に着手、堤体盛立は5年3月に開始し、2千人が昼夜3交代で2年4ヶ月で盛立を完了した(720立方坪/日)。 初めて盛土材の物理的・力学的試験による管理が行われた。 蒸気ローラ(英製10噸×2、米製8噸×2、補助英製6噸×1)により、盛土締固め厚3寸( 敷均厚5寸)、粘土止水壁は締固め厚1.5寸(敷均厚3寸)で施工。 資材運搬に軽便鉄道線を敷設、運土も鍋トロ使用し、盛体内の線路は18封度軌条、250間×15線を敷設、 最新の内燃機関建設機械を輸入。
1.5yd3ディーゼルショベル×3台(新規購入)、 3/4yd3ディーゼルショベル×1台(鉄道省より借入)、 3/4yd3スチームショベル×2台(東電より購入)、 5/8yd3スチームショベル×1台(東京市土木局より譲受)、計 Bucyrus製ショベル7台。 ガソリン機関車×15台、2合積ダンプカー(トロ)×300台を投入
- 1928年 ケーブル式ブルドーザを開発:R.G.LeTourneau
- 昭和4年 酒井工作所がガソリンエンジン・タンデムローラを初国産
- 昭和4年4月 ディーゼル機関の発達が顕著となり、河川改修工事に7瓲ディーゼル機関車8台を契約、9月に鬼怒川改修工事に3台納入(ドイツ発動機社製)
- 1929年(昭和4年)12月 ニュヨーク株式大暴落、世界大恐慌始まる、 米価暴落
- 昭和4年12月 東京土木建築組合が失業救済土木事業の直轄施工に反対し、関係省に反対請願を提出
- 昭和4年〜14年 常願寺川上流の立山カルデラで、白岩砂防ダム工事(設計:赤木正雄技師)
- 昭和5年 多摩川で国産の100坪掘ディーゼルラダーエキスカベータを使用
- 昭和5年 神戸製鋼がBucyrus 50Bをモデルとして、50K型 1.5m3電気ショベルを初国産、撫順炭鉱に納入した。 その後の120K、200Kへの大型機開発に繋げる。
- 昭和5年 パワーショベルを製作、日立、1yd3のノースウェスト型を東京重工、ビサイラス型を大福機工、夕張製作所、日本燃化機。 東京重機が1/2yd3トラクタショベルを試作(日野重工の13tトラクタを使用)
- 昭和5年頃 利根川に独製7t ディーゼル機関車を輸入、20ポンド軌条、鉄製 1m3傾溜ワゴンを使用
- 昭和5年 利根川・荒川・淀川の改修工事完成
- 1931年 ディーゼルT.T.トラクタの開発:Caterpillar Diesel 60
- 1931年 モータグレーダの開発:Caterpillar No.10 Auto Patrol
- 昭和6年 荒川上流改修工事の20t機関車と40t掘削機を蒸気機からディーゼル機に置換。 機関車はドイツ發動機社製を購入。 掘削機は、在来のラダーエキスカベータ(蒸汽短梯鋤簾式掘鑿機)の蒸気機関をディーゼル機関に換装。
- 昭和6年 失業対策として道路整備に直轄事業を初採用
- 昭和6年9月〜8年5月 満州事変
- 昭和6年10月 小松が農業用ガソリントラクタG25(2t)を開発、18年までに238台を製造
- 昭和6年11月 陸軍が九二式 5t 牽引車(イケ)甲(ガソリン)を開発、石川島自動車製
- 昭和7年 陸軍が九二式 8t 牽引車(ニク)甲(ガソリン)、乙(ディーゼル)を開発
- 1932年 牽引式スクレーパの開発:R.G.LeTourneau "Carryall"
- 昭和7年3月 満州国建国
- 昭和7年8月 第63臨時国会(時局匡救議会)、本議会で時局匡救土木事業の追加予算を決定
- 昭和7年 神戸製鋼が、3m3(175t)電気ショベル120K型を開発、撫順炭鉱に納入、その後昭和18年まで、満州向けに31台を出荷した。
- 昭和7年〜 多摩川上流部改修工事、投入機械は、100m3掘削機、50m3掘削機、6tディーゼル機関車、2.7tディーゼル機関車、ガソリン機関車、15kg軌条。
昭和初期、大恐慌による失業匡救事業と公共事業が活発化し、建設技術が大いに発達する。 しかし、雇用確保のため機械化は中断。
昭和6・7年頃よりの戦時体制(満州事変・支那事変・太平洋戦争)で、公共事業は不急不要事業として凋落期に、建設機械化も後退。
(米国は、ニューディール政策により建設の機械化が躍進する。 このため、彼我の差は20〜30年となった。)
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- 1933年 米TVA地域開発計画の始動
- 昭和8・9年頃、満州国国道局が新京吉林国道工事で米国式機械化施工に取組む、ブルドーザ、モータグレーダ、エレベーチンググレーダ、セルフローディングスクレーパ、油圧ボトムスクレーパ、ロードリッパ、ロードプレーナ等を輸入
- 1934年 初の工事用ダンプトラックを開発 :Euclid
- 昭和9年 神戸製鋼が、4m3(300t)電気ショベル200K型を開発、撫順炭鉱に納入後、昭和18年までに満州向け7台を出荷した。 昭和18年までに、撫順炭鉱に50K、120K、200K型16台を納車し、満州各地に合計46台を出荷
- G25(2t)を開発、18年までに238台を製造
- 昭和9年 丹那トンネル完成
- 昭和9年 陸軍が九四式 4t 牽引車(ヨケ)を開発
- 昭和10年代(1935〜1945.8)
- 昭和10年1月 全国治水砂防協会創設
- 昭和10年 小松 農業用トラクタG40(4.6t)を開発、軍用にも使われ、終戦までに421台を製造
- 昭和10年 陸軍が九二式 5t 牽引車のディーゼル仕様(乙)を開発、東京自動車(旧石川島自動車)製
- 昭和10年 陸軍が九五式 13t 牽引車(ホフ)甲を開発
- 昭和11年2月 2.26事件勃発
- 昭和11年 神戸製鋼が、0.75m3電気ドラグライン30K型を開発、その後も国内向けに50K等13台を出荷
- 昭和11〜19年 関門鉄道トンネル工事
- 昭和12年5月 満鉄農事試験場(公主嶺)トラクタ実働競演会
- 昭和12年7月 蘆溝橋事件
- 昭和12年 朝鮮・満州鴨緑江水力発電(株)設立
- 昭和12年9月〜18年 水豊ダム工
事(鴨緑江) 技師:久保田豊、 堤高106m、堤長900m、堤体積327万m3、有効貯水量76億m3、世界第2位の規模
: 使用機械は、1.5m3電気ショベル3台、広軌軌道を採用し、150t機関車10台、5t機関車22台、1.5m3トロ106台を投入
- 昭和12年〜 豊満ダム工事(満州)、世界第3位の規模(堤高91m、堤体積210万m3):空閑徳平技師
- 1938年 モータスクレーパ(Tournapull)を開発:R.G.LeTourneau(米)
- 昭和13年 塚原ダム(堤高87m)竣工、 硬練りコンクリート
、ケーブルクレーン打設、バイブレータを初採用、また、海砂を索道で40km運搬、工事用機械は総て国産
- 昭和13年 小松が国産初のディーゼルトラクタD35(4.2t)を試作、15〜17年に47台を製造
- 昭和13年 陸軍が九八式 4t 牽引車(シケ)を開発
昭和14年2月 小松が陸軍九八式 6t 牽引車(ロケ車)の試作に着手、16〜18年に149台を納入
- 昭和14年5月 ノモハン事件
- 1939年9月〜 第2次世界大戦勃発
- 昭和15年9月 日独伊三国同盟成立
- 昭和16年 内務省土木局を国土局と改称
- 昭和16年12月〜20年8月 太平洋戦争
| 昭和17年5月 海軍が占領したウェーキ島で、戦利品のブルドーザ、キャリオールスクレーパ、パワーショベル、モータグレーダ等を我が軍の飛行場設営隊が初めて目にするも用途が判らず放置。 捕虜の申し出により操縦させると数日で造成を完了、その性能に驚嘆して海軍施設本部に報告、直ちに調査技師が急派され、一部を日本に持ち帰る。 |
- 昭和17年6月 関門鉄道トンネル(世界初の海底トンネル)下り線開通
昭和17年9月 ガタルカナル、ニューギニアでの米海軍設営隊(Sea Bees:海蜂隊)の機械化施工による航空基地建設能力に陸軍が驚愕、急遽、彼我の懸隔を埋めるべく重土工機械の研究に着手
- 昭和17年12月 日立製作所が電気ショベル120H(3m3)を南満州鉄道(株)撫順炭鉱に納車
- 昭和17〜18年 海軍飛行場の急速設営の研究実験
を茂原、厚木、神ノ池、藤沢、沼津で実施
- 昭和18年1月 本邦初のブルドーザとなる海軍発注の一型均土機(5.5t)を開発、 G40(トラクタ)に油圧ブレードを装着、終戦までに148台を生産
- 昭和18年2月 海軍103設営隊が鹵獲建設機械による機械化施工で、ワクデ島飛行場を築城
- 昭和18年3月 金剛製作所が12yd3キャリオールスクレーパを製作、 しかし、これを牽引できるD7級トラクタはわが国にはなかった(泣笑)、 その後4m3級を製作
- 昭和18年3月 小松が高速牽引車の図面を基に陸軍発注(17年12月)のブルドーザ:トイ車(11.5t)を試作、翌年まで80台を生産
- 昭和18年9月 外国建設機械型録集(掘削編)を発刊、全6巻を20年3月までに上梓、300部限定配布
- 昭和18年夏〜冬 米国建設機械特許集録(4巻を500部限定出版
- 昭和19年5月 陸軍発注のブルドーザ、小松トロ車(6t)を試作(1台のみ)、後のD50の原型となる
- 久保田鉄工は、陸軍ハケ8t牽引車を利用作成。 羽田精機は、トラクタから新型を製作。 陸軍の6m3キャリオールを宮原製作所、帝国車両、日立製作所で作製
- 昭和19年5月 土木学会誌に「施工機械集輯」を掲載(米ENR誌1939年に掲載された200種の施工機械・器具を建設機械研究委員会が抄訳)
- 昭和19年5月 日立製作所が排土車(ブルドーザ)15台を軍需省に納車
- 昭和19年9月 関門鉄道トンネル上り線開通
- 昭和19年12月 B29東京初空襲
- この頃の海軍用トラクタは、久保田鉄工所、羽田精機、加藤製作所、鐘淵ディゼル(日産ディーゼルの前身)、夕張製作所が製作。
- 昭和20年2月 トヘ車試作完成
昭和17年後半の米軍反攻後、航空基地急造の必要性を痛感し、建設機械の模倣による緊急開発を図ったが、見かけは兎も角、その性能差を克服できなかった。
それでも、飛行場設営隊の緊急増設と機械化を図り、18年後半から前線へ続々と派遣するが、その装備の多くは敵潜の跳梁により海没し、戦力化には至らなかった。 |
- 日本の土工機械史 :戦前
- 日本の土工機械史 :戦後
- 建設機械史の画期
- 建設機械大型化の歴史:土工機械のモンスター達
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